アームに恋したソフトバンク・孫正義氏 きっかけはジョブズ氏の酷評 – 日本経済新聞
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK063R80W4A100C2000000/
保存日: 2024/01/15 8:26
スティーブ・ジョブズ氏(写真㊨)と孫正義氏の個人的な関係がアーム買収のヒントとなった
英アームは1990年代前半にシャープをはじめとする日本の電機大手との契約をテコに、半導体の頭脳の中枢にあたる「アーキテクチャー」の設計に特化するという事業モデルを軌道に乗せた。急成長に向かう転機は97年に訪れた。
アームにとって3番目のライセンス供与先だった米半導体大手テキサス・インスツルメンツ(TI)がアームの技術を採用するCPUを、当時は世界最大の携帯電話機メーカーだったフィンランド・ノキアに納入することになった。この年に米半導体の老舗、アナログ・デバイセズからアームに転じたリチャード・グリセンスウェイトはこう証言する。
「その頃、アームはまだ100人ほどの小さな会社でそれほどもうかっていたわけじゃない。でも、低消費電力の設計はあらゆるガジェットに使える。その行く末を見てみたいと思いました」
テクノロジーの世界地図
やがてスマートフォンの時代が始まると、アームが創業期に描いていたエレクトロニクス産業の水平分業は世界的な規模で広がっていった。
例えば、米アップルのiPhoneはシリコンバレーでデザインされ、台湾・鴻海精密工業(ホンハイ)が持つ中国の工場などで作られる。米クアルコムはその頭脳にあたるCPUを供給するが同社もまた工場を持たず、台湾積体電路製造(TSMC)などのファウンドリーに生産を委託している。さらにクアルコムにCPUのアーキテクチャーを提供しているのがアームだ。
複雑に入り組んだ相互依存関係は、時に米中の経済摩擦など地政学的なリスクと隣り合わせという現代のテクノロジーが持つ潜在的な脆弱性の原因となっていく。アームも2020年前後には売上高の4分の1を占める中国合弁で現地の経営者と対立するお家騒動を経験したばかりだ。22年にアーム最高経営責任者(CEO)に就任したレネ・ハースも「私にとっての(中国事業を巡る)頭痛のタネは地政学全般に関わることだ」と話す。
七面鳥小屋から始まり、やがてテクノロジーの世界地図の上で語られる存在にまでのし上がった半導体の黒子。そんな存在にじっと目を付けていたのがソフトバンクグループ会長兼社長の孫正義だった。
孫はソフトウエアの仲卸業を手始めに、ブロードバンドや携帯電話へと「本業」的な事業を次々と変える独特の経営でソフトバンクを一代で大企業に成長させてきた。
「変身」のたびに「僕はまるでフーテンの寅さんみたいに新しいマドンナに恋い焦がれて飛び出して行っちゃう」と言う。そんな孫が「10年来のマドンナ」と言うのがアームだった。
アームは孫氏にとって「長年の恋人だった」(買収合意直後の2016年7月)
きっかけは盟友と呼ぶスティーブ・ジョブズとの対話だった。06年に英ボーダフォン日本法人を2兆円規模で買収して携帯電話に進出する少し前のことだ。孫はシリコンバレーにあるアップル本社を訪れた。
「最強のマシン」のスケッチ
このとき、孫は一枚のスケッチを持参していた。アップルが音楽のあり方を変えた携帯プレーヤーのiPodとケータイを融合させたものだ。孫は目前に迫るモバイル時代を勝ち抜く「最強のマシン」の姿を考え抜き、ジョブズにぶつけた。するとジョブズは孫のアイデアをバッサリと切り捨てた。
「おい、そんな醜いものを俺に見せるなよ。それに君は携帯事業の資格を持っていないだろ」
「それは、いずれ手に入れる」
「でも、今は持っていない。だから話はここまでだ」
けんもほろろだが、ジョブズはこう付け加えた。「でも、最強のモバイルマシンをつくるというアイデアには賛成だ。それを言いに来たのはマサが初めてだな」
こんなやり取りがきっかけとなり、孫は携帯事業に参入すると、すかさずジョブズが世に送り出したiPhoneを日本で独占販売することに成功した。
実は、ジョブズは孫にもうひとつ貴重なヒントを与えていた。
「そのマシンを見たらおまえはパンツに漏らすぞ」
どんなマシンなのかはまだ見せられないが、とんでもなく驚くぞという。そこで孫はまた考え抜いた。
「美しさにこだわり抜くスティーブだったらどんなマシンをつくるだろうか。まさか電池の部分だけがガマガエルのおなかみたいにボコッと出っ張った醜いものではあるまい。じゃ、そのCPUには何が求められる」
頭に浮かんだのがアームが得意とする省エネ技術だった。そしてスマホを中心に生まれる巨大なアプリの生態系(エコシステム)だ。スマホ時代にこそ低消費電力を磨き続け、膨大な数のソフトウエア会社との深いつながりを持つアームが真骨頂を発揮すると考えたのだ。
この発想は社内でさえ理解されたわけではない。それは16年7月に孫が電撃的に3兆3000億円でアームを買収すると発表する3カ月ほど前のことだ。孫が後継者と期待したニケシュ・アローラがアーム買収に猛反対した。二人の議論は平行線をたどり、白黒を付けるため役員陣を前に孫とアローラがプレゼン対決を開くことになった。
アーム買収はニケシュ・アローラ氏がソフトバンクグループを退任する発端ともなった(2022年)
この知られざるプレゼンバトルの場に出席したある幹部はこう証言する。「ニケシュのプレゼンは公開情報やコンサルタントの資料を組み合わせただけの浅いものでした。孫さんとは熱量が違った」。結局、この対決が引き金となって、アローラは買収発表直前の6月末に退任を決めたという。
見えぬシナジー
「通信の会社」と見なされていたソフトバンクによるアーム買収は、世界のテック業界を震撼させた。今ではチーフアーキテクトとして技術陣を率いるグリセンスウェイトも、早朝にベッドの上で見たテレビのニュースで知ったと語る。「そもそもソフトバンクという会社自体、知らなかった」。水面下で孫が、バカンス中で地中海を航海していた当時のアーム会長をマルマリスというトルコの小さな港町に訪ねて極秘交渉に乗り出していたことは、ほんの一部の首脳陣にしか知らされていなかった。
こうして長年のマドンナを口説き落とした孫はその後に巨大ファンドを設立し、数々のAI(人工知能)スタートアップに投資していった。孫が創業当時から描いていた「群戦略」を形にするためだが、それから8年がたった今も課題が残る。群戦略は出資先の企業同士が緩やかな連携を築き「戦略的シナジー集団」を形作るというグループ像が重要になる。
だが、群れの中核に位置するアームと、430社を超える出資先スタートアップとの間では、いまだにこれといったシナジーを生み出せていない。これはハースやグリセンスウェイトをはじめアーム首脳陣も認めるところだ。
いま、アームはAI時代の半導体の頭脳を握るべく動き始めた。そこで孫が誇るAIスタートアップの群れとどんな未来を描けるか。米カリフォルニア大学バークレー校の学生時代に雑誌に掲載された一枚の半導体の写真が人生を変え、情報産業に身を投じることになったと語る孫にとって、経営者人生の答え合わせともいえる挑戦が始まっている。
=敬称略
(編集委員 杉本貴司)
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