東哲郎(19)ITバブル崩壊
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXKZO71141190Z10C21A4BC8000/
保存日:2021/4/20 2:00 朝刊 [有料会員限定]

IT(情報技術)産業の歴史で2000年はバブル崩壊の年と記憶されている。もちろん東京エレクトロンも大きな影響を受けた。

Y・W・リーさん(右)との対話に救われた

受注が減り始めたのは01年の正月明けだった。状況がつかめず「頑張って注文をとろう」などと言っていた。やがて有力顧客がいる台湾からキャンセルの連絡が来るようになる。納入済みの製品を引き取ってほしいとの話も出てきた。売掛金の支払いも滞る。春以降、業績の下方修正を繰り返すことになった。

正直なところ当初はそれほどの大事とは思っていなかった。海外の販売網や製造拠点の拡充など、グローバル化のアクセルを踏んでいた時期でもある。急ブレーキを踏んだが、効果が限られた。02年3月期の売上高はそれまでの最高だった前年から4割減り、199億円の最終赤字となった。コストを減らしても、減収が急すぎて追いつかない。

ふだんは「明るい東さん」の私も「ギャーギャーうるさい東さん」にならざるを得なかった。工場やサービス部門はギリギリの努力をしていたが、私はもっとコストを減らせと叫ぶしかない。先が見えず、追い詰められた。

03年3月期も業績は回復しない。工夫を積み重ね11億円の営業利益を確保したものの、キャンセルで戻ってきた製造装置が不良資産となり、償却処理の結果、最終赤字が415億円に膨らんだ。

半導体業界に地殻変動が起きていた。詳しい分析は後日とし、いまは簡潔に述べる。

それまで半導体は、パソコンと携帯電話向けで伸びていたが、スマートフォンやクラウド用が需要のけん引役になり始めた。さらに、自らは工場をもたないファブレスの半導体会社と、製造を請け負うファウンドリーの分業が進み始めた。錯綜(さくそう)した転換期に突入し、需給バランスが見えにくくなり、市場の機能がマヒして過剰発注・生産が生じた。ITバブルの正体であり、それがはじけたのだ。

もうお気づきの読者がいるかもしれない。そう、2期連続の赤字である。会社の不文律に従えば責任をとるべき事態だ。社長とて例外ではない。03年6月、私は7年間つとめた社長の座を降り、会長となった。

バブル崩壊のせいにはできない。百歩譲って最初の1年はやむなしとしても、2年目は完全に経営の問題である。敏感に反応できず、大胆な手を打てなかった結果だ。

業績悪化を受け、グループ従業員の1割にあたる1000人の希望退職を募らざるを得なくなった。「なぜこんなことになった」。辞めていく従業員から自宅に抗議の電話がかかってきた。前向きな性格の私もさすがにこたえた。

救いは業界の知人たちとの対話だった。

韓国サムスン電子で半導体事業を統括していたY・W・リーさんは「人間の一生に例えたら、半導体産業は何歳だと思うか」と私に聞いた。「30歳過ぎ」と答えるとリーさんは言った。「まだまだ成長期。大学に入る前くらいですよ」。米テキサス・インスツルメンツの研究開発担当上席副社長などを経て米スタンフォード大学教授になった西義雄さんはこう語った。「必要は発明の母というが、半導体はそうではない。発明がニーズを生む」

半導体市場の成熟論が一部でささやかれていたが、そうではないのだ。やり方次第で業界はもっと発展する。社長ではなくなったとはいえ、私がなすべきことがあるはずだ。そう気をとり直した。やがてトップ再登板の機会が巡ってくるが、このときにはもちろん想定外である。

(東京エレクトロン元社長)