馬雲氏のアリババは習近平「印」にあらず、企業にも踏み絵
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH12CVB0S1A410C2000000/
保存日:2021/4/14 0:00 [有料会員限定]

中国共産党の習近平(国家主席、シー・ジンピン)指導部によるアリババ集団への締め付けが止まらない。週末だった10日、当局が独占禁止法違反で182億2800万元(約3000億円)という過去最大の罰金を科した。金額は同社の2019年の国内売上高の4%に相当する。

続いて週が明けた12日夕には、人民銀行、銀行保険監督管理委員会など関係4部門が合同で、先に上場延期に追い込まれたアリババ傘下のアント・グループから再び事情聴取したと国営通信の新華社が大々的に伝えた。

アリババ創業者の馬雲氏=ロイター

実際は、スマートフォンを使った電子決済サービス「アリペイ」を含む全ての金融事業を新たに設立する持ち株会社に移行して、当局の厳格な監視・監督を受けるよう言い渡したのだ。アントの収益源であるスマホ融資への規制は大幅に強化される。

注目すべきなのは罰金額の大きさだけではない。アリババの創始者、馬雲と彼の実質的なコントロール下にあったアント・グループへの合同聴取はまず昨年11月初めにあり、上海と香港への株式上場で4兆円規模の資金を調達する予定だった計画は直前になって差し止められた。

同12月にはアントへの2度目の聴取があり、今度はなんと3回目である。まるで見せしめのように続く聴取の公表は極めて異例だ。アリババの会長兼最高経営責任者(CEO)の張勇は「当局による処分が事業に重大な影響を与えることはない」としたが、関係者から漏れ伝わってくるのは「政治的な問題を含んでおり、この間、かなりの確執があったと考えるべきだ」という見方である。

そもそも共産党が全てを指導する中国での事情聴取は、我々西側世界の役所による企業に対する事情聴取とはわけが違う。事情を聴く行為そのものが即、企業とその経営者らの命運を決定付ける。しかも2度、3度となれば通常、当事者に厳罰が下されることも覚悟しなければならない。

「反腐敗」運動に似た企業統制の強化

事情聴取の主体は中国政府の機関である。しかし12日のアント聴取の根拠としてまず挙げられたのは既存の法律ではなかった。興味深いことに、昨年10月以降の共産党中央による決定だったのだ。共産党中央委員会第5回全体会議(5中全会)で出された方針、そして20年末の共産党中央経済工作会議で決めた「独占禁止の強化と、資本の無秩序な拡大防止」である。

ある意味、習指導部は「反腐敗」運動の考え方を民間企業にも迫っている。汚職撲滅は古くから叫ばれてきたが、長く掛け声倒れに終わっていた。ところが習は党の決定を後ろ盾にして、既存の規定を厳格に適用した。これで超大物の「政敵」でさえ摘発可能になったのだ。

独占禁止法もなかなか使われない伝家の宝刀だったが、突然、厳格な運用に切り替わり、アリババに巨額の罰金が科された。つまり馬雲らが新たに間違いを犯したのではなく、指導部が姿勢を大きく変え、許していた過去の行為を問題にしたのだ。

理由は何か。その一つは共産党による民間企業への統制強化である。そこには長期政権を狙う習サイドの思惑も絡む。8年余りの「反腐敗」運動の成果もあって、共産党内での習の政治的地位は相当固まった。

全国政治協商会議開幕式に出席した習近平国家主席(3月4日)=ロイター

だが経済界への統制は共産党内ほど効いていない。17年共産党大会で習は、民間企業を含めた国内の全ての組織を党が仕切るとうたったが、道半ばである。とりわけ経済的な利益と自由を追求する民間企業の行動にはなお不安を抱いている。

例えば、習による権力掌握のヤマ場だった2015年夏には株式市場で事件が起きた。代表的指標である上海総合指数が一時、8%下がるなど市場はパニックに陥ったのだ。株価維持政策(PKO)の切り札として指導部がすぐ投入したのは公安(警察)の幹部である。

公安省次官が配下の捜査官らを率いて北京の金融街にある証券監督管理委員会に入り、悪質な空売りの厳格な合同取り締まりを宣言した。続いて経済の中心地である上海に飛び、貿易会社などを対象に違法な株価操作の疑いで調査を始めた。公安組織を使った有無を言わせぬ市場への「直接介入」は、この株価暴落を「政治的な背景がある事件」とみていた証拠でもあった。

指導部は今、民間企業にも習近平新時代にふさわしい習「印」を明確に示すよう迫っている。一種の「踏み絵」だ。旗幟(きし)鮮明に党中央の方針を支持せよと迫った「反腐敗」運動と似ている。

「上海閥」との関係

ところが馬雲は一定の距離を置こうとした。昨秋の講演で金融当局の方針に異を唱えたのは、新しい時代を切り開いてきた民間企業家の雄としての矜持(きょうじ)でもあろう。当局側としては、習「印」をえん曲に拒む意思表示だと受け止めざるをえない。

カリスマ経営者として中国経済に貢献してきた馬雲は、共産党指導者らの子弟を指す「太子党」「紅二代」「官二代」と長年、つながりを持ってきた。習近平もまた副首相だった父を持つ「紅二代」である。そしてアリババの本拠地、浙江省杭州は、習にとっても浙江省トップとして長い時間を過ごしたゆかりの地だ。

ところが2人の間には明らかに溝がある。信念の違いであり、人脈の違いでもある。習の信念は国有企業を「強く、大きく」という統治優先の考え方であり、国有銀行が仕切る金融分野にまで切り込むイノベーション信奉型の馬雲とは相いれない。

江沢民・元国家主席(2012年の共産党大会)

人脈を考えると、アリババの急成長を支えてきたのは習がトップに立つ前の指導層だ。とりわけ太いパイプがあったのは、元国家主席、江沢民(ジアン・ズォーミン)につながる「上海閥」の関係者らである。

上海閥は「機械工業閥」という別名を持つ。江沢民は第1機械工業省、吉林省長春の第一汽車など自動車工場で働いた技術者でもあった。この機械工業に絡む江の部下が、全国政治協商会議主席を務めた賈慶林だ。1970年代からの機械設備輸出入総公司時代に江と関係を深めた。

上海閥は長く産業界に絶大な影響力を持っていた。しかし習近平の権力掌握が急速に進んだことで、習サイドと距離がある勢力の政治的な力は大幅に落ちた。ただし経済・金融界への影響力は別である。長老らの子や孫、親族らが過去の経緯から一定の発言権を持つ。太子党に連なる人々らが実質的にアントなどの株式を保有するケースも多いとされる。

「今は安泰でも……」

習はこの際、長老らに連なる人々の経済界への影響力もそぎたい。その眼は既に1年半先の2022年共産党大会を見据えている。そこで長期政権をめざすなら今、経済界を含めた全てを掌握し、不安の芽を摘む必要がある。

アリババグループの本社=中国浙江省杭州市(共同)

馬雲自身は習時代の危うさを早くから察知し、若くして経営の第一線から引く決断をした。しかし露出度が極端に減ったその身は本当に安泰なのだろうか。さすがに世界的に有名な立志伝中の経営者を今、拘束するような決断は考えにくい。中国内ばかりか、世界の中国を見る目が一変するからだ。米中対決が厳しい折り、対中投資までしぼめば中国経済の死活に関わる。

とはいえ心配する声が一部にはある。「今は安泰でも、将来の保証まではない」。この8年余り、多くの大物企業家が突如として塀の内側に落ちた。急成長した民間の安邦保険は中国3位の大保険会社にまでなったが、トップの呉小暉は17年の共産党大会の直前に拘束され、最後は懲役18年の重刑に処された。呉は馬雲と同じ浙江省出身の企業家で、鄧小平の孫娘と再婚していたのだ。

たとえ太子党や紅二代による強力な庇護(ひご)があっても効力は限定的だ。それが習近平時代なのである。(敬称略)

中沢克二(なかざわ・かつじ)

1987年日本経済新聞社入社。98年から3年間、北京駐在。首相官邸キャップ、政治部次長、東日本大震災特別取材班総括デスクなど歴任。2012年から中国総局長として北京へ。現在、編集委員兼論説委員。14年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。