ソニーの自動運転EVを解剖 スマホ流開発の潜在力
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ198LF0Z10C21A3000000/
保存日: 2021/3/30 2:00 [有料会員限定]

ソニーのビジョンSは開発からわずか2年で公道走行までたどりついた

日経産業新聞と日経クロステックの共同連載企画の第2弾です。百家争鳴のAppleカーの行方を展望しつつ、新たなテクノロジーを深掘りし、勃興するモビリティー産業の最前線に迫ります。

ソニーが、電気自動車(EV)「VISION-S(ビジョンS)」の公道実験に早くもこぎ着けた。スマートフォンの開発手法やソフト資産を存分に生かす。車両の中身に迫ると、自動運転センサー開発の一環にとどまらず、車両全体の統合制御に奮闘する姿が浮き彫りになる。スマホの王者である米アップルがEV開発を模索する中、ソニーが部品メーカーの立場を超えて自動車メーカーの領域に踏み込む狙いを読み解く。

2020年12月、ソニーはオーストリアで公道実験を始めた。驚くのは、企画開始からわずか2年でたどり着いたことだ。開発を率いるソニー執行役員AIロボティクスビジネス担当の川西泉氏は「車両の構想を固めるのにかなり時間をかけた」というから、実際の開発期間はもっと短い。

自動車開発の素人集団であるソニーが、なぜこれほど早く開発を進められるのか。エンジンのないEVであることに加えて、車の付加価値がハードからソフトに移ってきたことがある。ソニーがスマホ開発などで培った短期間で検証や改善を繰り返す「アジャイル開発」の経験を生かせた。自動車開発で一般的な最初に仕様を固めて取りかかる「ウオーターフォール開発」に比べて、開発期間を短くしやすい。

車両のインストルメントパネル周辺のHMI(ヒューマン・マシン・インターフェース)や、高速通信規格「5G」といったITと親和性の高い技術領域を中心にアジャイル開発を取り入れた。スマホなどの開発資産も多く流用する。

加えて「走る・止まる・曲がる」といった車の基本機能に関わり、ソニーの知見が薄い自動運転において、川西氏は「アジャイル開発が比較的通用した」と手応えを語る。自動車開発に想定よりも「スマホ流」が通用した格好だ。

一方で駆動モーターやステアリングなど車の伝統的な制御開発には、アジャイル開発を適用しにくいことも分かった。安全に関わる部分であり試行錯誤しにくく、ウオーターフォール開発で臨む。ソニーは2つの開発手法の「いいとこ取り」(川西氏)に力を注いだ。

メガサプライヤーの実力が、自動車メーカーに匹敵するほど向上していることも開発期間の短縮に貢献する。協業する独ボッシュや独コンチネンタル、独ZFなどは、車両のほとんど全体を手掛けられる実力を備える。車体開発でソニーが頼ったマグナ・シュタイヤー(オーストリア)は老舗で、長い実績がある。

もちろんEVであることも大きい。エンジン車であればメガサプライヤーの力をどれだけ借りても、短期間の開発は難しかったはずだ。エンジンは自動車メーカーの独壇場。EVだからこそ、エンジンに代わるモーターや電池をソニーのような新参者が簡単に調達できる。

■主力事業の画像センサーを進化

ソニーカーを開発する狙いの1つは、主力事業である画像センサーを進化させることである。自動運転技術は発展途上で、センサーの要求性能を自動車各社が模索中だ。ソニーは自ら車両まで手掛けることで早期に画像センサーの要求性能を見定め、競合他社に先駆けて量産したい。

ソニーの車載画像センサー「IMX324」はADAS向けに商品化した

加えてソニーは最近、LiDAR(赤外線レーザーセンサー)の開発にも着手した。自動運転センサーの事業範囲を広げようとしている。イメージセンサーとLiDARの使い分けも見極めたいはずだ。

ソニーカーでは、中核となる電子プラットフォーム(基盤)を大きく5つの領域に分けて、それぞれに制御コンピューターを搭載した。そのうち自動運転機能を搭載したADAS(先進運転支援システム)領域では、他社の技術を積極的に活用して開発速度を重視する。センサー関連技術の強化を最優先する。ソニー自身はセンサーの「認識」技術に力を入れ、車をどう動かすかの「判断」の制御ソフトについては他社に多く任せているようだ。

具体的には米エヌビディアのプロセッサー(SoC)と自動運転ソフト、AI半導体を手掛けるAIモーティブ(ハンガリー)の技術を活用する。川西氏は「自動運転技術は細分化した多くの機能の積み重ね。自分の力で全てやろうとは考えていない」と、この領域では積極的な分業が鍵を握るとみる。

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■HMIと通信領域 スマホ流で開発

ソニーカーのもう1つの狙いが、自動運転車における既存事業との親和性を確かめることである。HMI領域と通信領域が好例だ。HMI領域ではSoCにスマホで一般的な米クアルコム製「スナップドラゴン」、OSにアンドロイドを採用した。通信領域にはクアルコム製5Gチップセットを使う。ソニーのスマホ「エクスペリア」と似た構成で、既存事業との親和性はかなり高い。

HMIと通信の領域ではアジャイル開発を支えるため、データ伝送速度が毎秒最大1ギガビットに達する車載イーサネットを採用したことも大きな特徴である。毎秒数百キロビットにとどまるのが一般的な車載ネットワークにおいて、異例の高速通信を実現する。データ伝送速度の制約を考慮することなく、ソフト開発に力を注げる。

ソニーはスマホ「エクスペリア」で培った開発手法をビジョンSでも生かした

ADASと車両運動の領域にもイーサネットを使うが、データ伝送速度は毎秒最大100メガビットに抑えている。ボディー領域には車載用途で標準のCAN(コントローラーエリアネットワーク)を用いた。

ソニーは車を「インターネット端末の1つ」(川西氏)と位置付ける。イーサネットの採用は、ソニーが強いインターネットサービスと車を連携するのにも役立つ。インターネットの標準プロトコル「TCP/IP」を使いやすいからだ。

例えば、4700万人超の有料会員を有する「プレイステーションプラス」とソニーカーをつなぎ、新しいサービスを生み出しやすくなる。実車版「グランツーリスモ」といったアイデアなど夢は広がる。自動車業界にこれほど大規模なインターネットサービスはほとんどなく、ソニーの優位性を生かせる。

ソニーにはフェリカの開発で培った暗号技術の蓄積もある

インターネット端末となるソニーカーは、走る決済端末にもなり得る。伊藤忠総研上席主任研究員の深尾三四郎氏は「(非接触型ICカード技術)フェリカを開発したソニーの暗号技術の強みをEVに生かせる」とみる。走行距離や充電量などに応じて課金するといった新しいモビリティーサービスを実現しやすくなる。

「揺れない車、酔わない車を造りたい」――。

自動運転車で重要性が高まる性能であることに加えて、川西氏は乗り心地の制御にソニーの技術が生きると考える。いわば「ノイズキャンセルカー」だ。

ノイズキャンセルはヘッドホンの内蔵マイクで周囲の騒音を測定し、騒音を打ち消すように逆位相の音を発生させる技術で、ソニーのお家芸だ。乗り心地の制御も同じというわけで、道路の凸凹による振動を打ち消すようにサスペンションを制御する。

ソニーカーには、ばね定数を制御するエアサスペンションと減衰力可変ダンパーを搭載した。さらに道路の凸凹を測定するのに、ソニーのセンサー技術を活用する。もし車酔いを抑えられると、自動運転車に乗って映像を見たり作業したりできる。ソニーの映像コンテンツを存分に楽しむ環境を構築できるだろう。

ソニーが開発した高音質ノイズキャンセリングプロセッサー「QN1」

サスペンションに加えて、駆動モーターや電池を含めた統合制御にも取り組む。揺れない車、酔わない車の実現には、サスペンションによる上下や左右の振動抑制に加えて、駆動モーターで前後加速度などを同時に制御する必要がある。

さらにソニーは、ボディー領域の制御まで意欲を見せる。シートや室内温度、室内灯などを制御することで、快適な車内空間を実現する。家電に強いソニーの力が生かせると考えた。

とはいえ車両運動やボディーの制御まで踏み込むのはセンサーメーカーの範ちゅうを超えており、ほとんど自動車メーカーの開発領域である。EVの量産を見据えているかに思えるが、川西氏は「EVを自ら造ることで車の構造を正しく理解したい」と車の知見を得るのがあくまで目的で、量産は考えていないと説明する。

確かに、公道実験を始めたばかりで量産可否を判断するのは時期尚早だ。加えて、主力のセンサー事業に影響する可能性にも配慮するのだろう。仮に量産するとなれば、センサー事業の顧客と競合関係になり得るからだ。

■自動車生産の水平分業が始まる

しかもEVの量産にはリスクが大きい。生産には一般に1000億円超の莫大な投資がかかる。自動車の設計や組み立てのミスは、人命に関わることも大きい。1つ間違えばソニーブランドが毀損しかねない。

ただし今後、こうしたリスクは小さくなる方向だ。生産の水平分業化が拡大する兆しがある。例えば、iPhoneの製造受託を手掛ける台湾・鴻海精密工業がEVプラットフォームの開発に乗り出すと発表した。「アップルカー」が登場すれば、iPhoneと同じようなEVの水平分業化の流れを後押しする可能性がある。

鴻海のEVのプラットフォーム開発構想には3月下旬で1200社を超える企業が参画を表明(鴻海提供)

川西氏はEVの生産委託について「簡単ではないが時間の問題であり、十分に可能」と予測する。ソニーはテレビ事業などで鴻海と取引した経験がある。川西氏はEVに関して鴻海と「話していない」というが、水平分業の選択肢があれば量産化を決断しやすい。

ブランド毀損のリスクへの対策については、21年4月からソニーグループに社名を変更し、本社機能と事業組織を分離することが役立つのではないかとの見方がある。SMBC日興証券の桂竜輔氏は「EV事業を別ブランドとすれば、それ単体で管理しやすくなる」と分析する。

例えば、独フォルクスワーゲン(VW)グループが、大衆車のVWブランドと高級スポーツ車のポルシェブランドなどを使い分けるイメージだ。VWブランドで大規模リコールが発生したとしても、ポルシェへの波及は最小限に抑えられる。ソニーグループになれば、こうしたマルチブランド戦略を取りやすくなると見るわけだ。

「当初の想定から大きく外れていない」(川西氏)――。ソニーカーの開発は、関係者の見立てよりも随分と順調に進んでいる。ソニーの技術資産が生かせる領域が多いことも分かった。25年ごろには補助金を考慮したEVとエンジン車の利益水準が同等になるとみられ、EV市場が一気に拡大するとされる。生産の水平分業化が進めば、EVの参入障壁は大きく下がる。ソニーカーでアップルカーに挑戦する土壌は整いつつある。

(日経クロステック 清水直茂 企業報道部 清水孝輔)