もしも、Appleカーが登場したら・・・ 迫る自動車の再定義(写真=AP)
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZQODZ198HE0Z10C21A3000000/
保存日: 2021/3/29 2:00 [有料会員限定]

アップルが車を開発すると、自動車産業はどう変わるか(出所:Bloomberg/ゲッティイメージズ)

日経産業新聞と日経クロステックの共同連載企画の第2弾です。百家争鳴のアップルカーの行方を展望しつつ、新たなテクノロジーを深掘りし、勃興するモビリティー産業の最前線に迫ります。

米アップルが電気自動車(EV)に参入するとの見方が飛び交い、早くもどんな車かと百家争鳴だ。スマートフォンを発明したアップルならば、既存の退屈な車を再定義するとの期待が高まる。ガラケーを駆逐したiPhoneの実績もあり、自動車産業の秩序を崩す可能性がある。2025年前後の量産と噂されるアップルカー。各界の識者の見方を基に、その破壊力を見通す。

「これまでの車の価値は吹き飛ぶ」――

日産自動車元COO(最高執行責任者)で、INCJ会長の志賀俊之氏は、アップルカーに対する危機感をあらわにする。自動車がiPhoneと同様にアップルのオンラインサービスにつながる一端末として「従属」した存在になると考えるからだ。日本自動車工業会会長の豊田章男氏は「車は造った後に30~40年使われる。(アップルに)その覚悟はあるか」との見方を示した。

■現代自、アップルとの交渉を公表後に撤回

アップル自身はいつもの秘密主義を貫き、何も明かさない。ただ韓国・現代自動車が21年1月にアップルとの交渉を公表し、その後に撤回したことで「公然の秘密」となった。世界中でアップルカーに対する期待が高まる一方、株式時価総額で世界最大の最強テック企業の計画を、既存の自動車メーカーは警戒する。

米アルファベットをはじめ、IT(情報技術)企業が自動車産業への参入をもくろむのは今や普通である。自動運転技術などの進化で車の付加価値がハードからソフトに移るなか、ソフト開発にたけたIT企業に好機が生まれると見るのは当然だ。

今回、「百家争鳴Appleカー」の企画を担当した日経クロステックの清水直茂記者と企業報道部の押切智義記者が、「ながら日経」で記事を解説しました。

ただ、アップルがあまたあるIT企業と異なるのは、ハードの開発能力が抜群に高いことである。大半の新規参入企業は車両という数万点に及ぶ部品を組み合わせたハードの開発でつまずく。最近その壁を乗り越えられたのは、米テスラくらいだ。

アップルならば車両開発の高い壁を安々と乗り越え、しかも「既存の自動車メーカーの造る車両をはるかに上回る価値を提供する」(志賀氏)と思わせる「何か」がある。スマホという人々の生活を一変させた製品を発明した企業であるうえ、iPhoneのボディーをアルミニウム合金の塊から削り出しで作るなど「ものづくり」に強いこだわりがあるからだ。

影も形もないアップルカーがこれほど注目されるのは、既存のクルマに対する不満の裏返しとも言える。車が発明されて100年以上、安全性を高めて環境負荷を減らすなど負の側面を小さくしてきた。一方で本質的なところは何も変わっていない。ステアリングを握り、アクセルペダルを踏んだりブレーキをかけたりしながら目的地まで走らせる。アップルに「退屈な車の再定義」を期待したくなるわけだ。

iPhoneの革新性を体現するユーザーインターフェース(UI)研究の泰斗、東京大学大学院教授の暦本純一氏はアップルカーに対して「車の根源的な問題解決を狙うのではないか」と「魔法」を期待する。

テスラはOTAと呼ばれる無線通信を用いた遠隔ソフト更新サービスで自動車産業のビジネスモデルに新風を吹き込んだ

一例として「酔わない車」を挙げるが、そんな夢を見る気にさせるところがアップルの真骨頂だろう。既存の延長上の開発に終始する自動車メーカーには到底期待できない。

アップルがEV開発を模索する背景には、テスラの躍進が大きいと多くの識者が指摘する。とりわけアップルを魅了したと思わせるのが、無線通信によるソフト更新で発売後に機能を高めるOTA(オーバー・ジ・エア)を採用し、一定の成功を収めていることだ。iPhoneの「生態系」を車に持ち込むことが現実味を帯びてきた。

■OTAでiPhoneの「生態系」を車に

アップルは、iPhoneの販売とともに、アプリ配信基盤「アップストア」で利用者が開発者に支払う料金の一部を手数料として得る両輪で収益を高めてきた。OTAでアップストアからアップルカーのアプリを更新することで、iPhoneの「勝利の方程式」をEVで実現するわけだ。アップルカーの登場で「OTAができないEVは競争力を失う」(インテルのデジタルインフラストラクチャーダイレクターの野辺継男氏)との見方が飛び出す。

アップルがEV開発を模索する裏には、スマホが成熟産業に差し掛かっていることもありそうだ。アップルが成長を続けるには新市場が欠かせないが、同社の売上高は既に約30兆円に上る。今さら小さな市場に参入しても成長を望めない。

「Google vs トヨタ」の著作があるナビゲータープラットフォーム取締役の泉田良輔氏は「巨人に見合う市場規模の産業は自動車や医療、エネルギーなどに限られ、(EV参入は)自然な流れ」と読み解く。アップルは手元資金が潤沢で、投資家による株主還元の圧力が強い。EV開発は「手元資金の使い道の一環」(同氏)でもある。

しかもアップルがEVへの参入をもくろむとされる25年前後は、自動車産業の転換点となり得る絶好機である。現状は大半の企業が赤字とささやかれるEVの利幅がエンジン車並みになり、一気に普及が進む可能性がある。裏を返すと、25年前後までにEV市場に参入しなければ、先行企業に取り残されかねない。

ゴールドマン・サックス証券マネージング・ディレクターの湯沢康太氏は、25年にEVのコストの多くを占めるリチウムイオン電池の価格が1キロワット時で100ドルを下回り、2000ドルの補助金を前提にすると、自動車メーカーはEVでエンジン車並みの利益水準を確保できると予測する。消費者にとってもEVをガソリン車並みの価格で買えるようになる見通し。

湯沢氏は「日系メーカーは補助金前提の事業構想を嫌いがちだが、世界でゼロカーボンを目指す動きの中でEVの補助金を減らす政策はとりにくい」と分析し、EVの販売が一気に増えるとみる。

【関連記事 百家争鳴Appleカー 私はこう見る】

・「Appleカーは次元の異なる価値提供」志賀・元日産COO

・「Appleが車を再定義」 前刀・元アップル日本法人代表

■アップルカー、生産のあり方を変える破壊力も

アップルカーの登場は、アップストアを利用した新しいビジネスモデルとともに、車の生産と販売のあり方をがらりと変える破壊力を秘める。

とりわけ注目を集めるのは、EV化の中でたびたび構想されてきた生産の水平分業化を加速させかねないことだ。自動車産業における最大の参入障壁が消え、多くの企業の参入を促す起爆剤になり得る。

アップルはiPhoneなどを自前で設計するものの、生産を台湾・鴻海精密工業など外部に委託して、投資負担を抑え利益を高めてきた。多くの識者がEV生産に同じ発想を持ち込む可能性を指摘する。アップルと比べられがちなテスラは自社生産に力を注ぐため、2社で最も大きく異なる点になるだろう。

自動車業界で車両の生産は競争力の源泉である。1分1台のペースでミスなく安価に車を組み立てる工程は、一朝一夕に実現しない。1000億円超の投資に加えて維持費も大きい。エンジン車の時代においては他社の生産を受ける自動車メーカーはそうそういなかった。

ところがEVになることで生産委託が進むとみられるのは、短期的にはEVの市場規模が小さいにもかかわらず、厳しい環境規制により一定数のEV販売を余儀なくされるからだ。自動車メーカーによっては投資回収を早める手段として生産受託に一考の余地があると考える。

アップルが世界の自動車メーカーに生産委託の打診をしたとの話しが駆け巡るのも、当面は少ないEV生産量に苦しむ自動車メーカーの実情を見透かすからだろう。

ナカニシ自動車産業リサーチ代表の中西孝樹氏は、アップルが参入するには「自動車メーカーやマグナ・シュタイヤー(オーストリア)といった自動車の開発と生産の両面で知見がある企業との連携が要る」とみる。デジタルキー開発でアップルと協業する独BMWを買収するのも手っ取り早い、との大胆な見方が欧州のアナリストの間であると披露する。

中長期的には、鴻海といった電機産業を支える受託生産企業が台頭する可能性がある。同社は20年にEVプラットフォームを開発すると発表した。21年3月には北米でEV工場を建設する計画を明らかにした。鴻海に自動車開発の経験はなく実力は未知数だが、アップルにとってみればiPhone生産で関係の深い鴻海だけに組みやすい相手である。

■アップルカー、直営店で「最高の体験」の提供狙う

アップルはかねて、iPhoneの直販比率を向上させることで利益を高めてきた。直販とともに家電量販店や携帯電話販売店も活用する。EVでも、直販と量販店を共に活用して販売を増やすのではないかとの見方があった。

直販に絞ると予想するのは元アップル日本法人代表取締役の前刀禎明氏である。「最高の体験」を実現する直営のアップルストアにEVを置いて、販売は直営店とオンラインに限定するのがアップルらしいと考える。「iPhoneに比べれば販売台数はかなり少ない。直営店で対応できる範囲ではないか」(前刀氏)と分析する。

アップルカーにどんな機能や技術を盛り込むのか。多くの識者が予想するのが、今や生活の必需品となったiPhoneと車をストレスなく連携させることだ。単純だが、これだけでもスマホを手掛けないテスラや既存の自動車メーカーと大きく差異化できる。

実のところアップルは、iPhoneや腕時計型端末「アップルウオッチ」などと車を連携するための布石を長年かけて打ってきた。

代表例が車載情報システム「カープレイ」とデジタル鍵「カーキー」、超広帯域無線通信「UWB(ウルトラワイドバンド)」である。iPhoneユーザーの利用環境を途切れることなくアップルカーに引き継ぐ仕組みをほぼ構築済みだ。「アップルは自然な体験を極めて重視する」(前刀氏)

iPhoneをかばんに入れて歩きながら車のドアをカーキーにより自動で解錠し、乗り込むと自然に車両とカープレイが起動する。同時に無線イヤホン「エアポッズ」で聞いていた音楽配信「アップルミュージック」の曲が車内に流れる――。

■車とiPhoneの自然な連携 カギ握るUWB

こうした車とiPhoneの自然な連携の鍵を握る技術の1つが、Appleが19年の「iPhone11」から採用したUWBである。車とスマホの距離を約10センチメートルの高い精度で測位できる。現状のカーキーは近距離無線通信を利用するため、車の解錠にiPhoneをポケットやかばんから取り出す必要がある。

UWBになれば車とスマホの距離を正確に把握できる。UWBチップを手掛けるNXPジャパンの林則彦アドバンスド・オートモーティブ・アナログ部部長は「ポケットから取り出すことなく解錠できる」と話す。

識者のなかには「アップルはBMWを買収したほうがいいのでは」という声もある

UWBで測位精度を高められるのは、帯域幅が500メガヘルツ(MHz)と広いからだ。広い周波数帯を使うほど、鋭く立った短いパルス信号を送信できる。反射波が戻るまでの時間で距離を計測するToF方式の場合、パルス信号が鋭く立つほど反射波が周囲の雑音に埋もれにくくなり、測距の精度を高められる。

アップルが独自プロセッサー(SoC)を設計していることも、iPhoneを中心とした生態系と車の連携を加速させるのに役立つ。iPhoneやタブレット端末「iPad」、アップルウオッチなどは同じアーキテクチャーに基づくSoCを利用し、途切れにくく遅延の短い端末間のデータのやり取りを実現する。

英調査会社オムディアの南川明氏は「自社製SoCがアップルの提供する体験の鍵を握っている」と分析する。アップルカーに自社製SoCを採用すれば、アップル製品と車の連携をさらに自然にできる。

アップルは自社開発の半導体チップ「M1」を載せたパソコンを展開し、低消費電力と性能向上を両立させた

自社製SoCの採用は、EVの弱点解消にもつながる。例えばパソコン「Mac」に採用したSoC「M1」では、演算性能を高めつつ消費電力を大きく減らした。EVに応用すれば、商品性能の根幹となる航続距離を延ばせる。

アップルカーの自動運転機能については、当初は無人運転できるレベル4の水準に達しないと見る向きが多かった。アップルは19年に自動運転技術の米ドライブ・エーアイを買収するなど開発に取り組んできた。

ただ専門家の間では、レベル4の開発で先頭を走るアルファベット傘下のウェイモとは「大差がある」との指摘がある。10年以上開発するウェイモですらレベル4の本格的な量産にこぎ着けていない。アップルがいきなり追いつくのは難しそうだ。

レベル4の自動運転車では、アップルブランドを生かしにくいとの見方もあった。レベル4の車両は当面、配車サービスなどのB2B事業に使われるからだ。アーサー・ディ・リトル・ジャパンパートナーの鈴木裕人氏は「AppleブランドはB2Cでこそ輝く。B2Bでは強みを生かせない」と指摘する。

鈴木氏が「アップルは技術優先の企業ではない」と見ることも、レベル4の採用に否定的に見る一因だ。アップルは最先端の技術へのこだわりは薄く、既存のインフラや技術をうまく組み合わせることにたけた企業と評する。レベル4は最先端技術で、世界の誰も手中に収めていない。これまでのアップルの開発の進め方を見ると、レベル4を採用する優先順位は低いというわけだ。

■秘密主義がアップルカー実現に障害

ジョブズ氏は未来の車の開発を夢見ていたという(05年)

百家争鳴アップルカー。実現の障壁となりそうなのは、技術や生産などの課題もさることながら、アップル自身の姿勢にあるとの見方があった。その徹底した秘密主義が、自動車開発と相性が悪いというのだ。

自動車開発は公道での実験や多くの部品メーカーとの協力が欠かせない。自動車のサプライチェーンはスマホよりも巨大で、情報統制ははるかに難しい。秘密主義を貫くのであれば、開発は遅々として進まない可能性がある。逆に言えばアップルが本気ならば、早晩、アップルカーの存在を明らかにすることになる。そのとき日本の自動車産業はどう向き合うのか。

「Think Different(発想を変えよう)」――。

創業者のスティーブ・ジョブズ氏が1997年にアップルのトップに復帰した後、打ち出した有名なメッセージである。アップルの復活劇の始まりを象徴する。ジョブズ氏の夢とも言われ、既存の車と異なる発想で開発するだろうアップルカー。自動車メーカーは世界最強のテック企業に真っ向勝負を挑むのか、それとも違う土俵を探すのかの決断を迫られる。

(日経クロステック 清水直茂 企業報道部 押切智義)