コシノジュンコ(1)だんじり祭
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXKZO48011410R30C19A7BC8000/
保存日: 2021/04/30 8:00
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私の生まれ故郷は大阪・岸和田。かつては岸和田藩五万三千石の城下町で、「ケンカ祭」と異名を取る勇猛なだんじり祭でもよく知られる。

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南海本線の駅から西方の大阪湾に向かって真っすぐに伸びるのが岸和田駅前通商店街。だんじりの通り道にもなる幅広のアーケードの中程に面した私の実家は祭を見物するのに絶好の立地だ。
粋な法被をまとった数百人の若衆が重さ4トンもあるだんじりを引き、全速力で疾走する姿は豪快そのもの。町会ごとに趣向を凝らした34台が強さと優美さを競い合う。
タンカタン、タンカタン
ソーリャ、ソーリャ
小気味よい太鼓のリズム、威勢の良い掛け声が街に響くと、なぜか血が騒ぎ、居ても立っても居られなくなる。
私は小学校から高2まで若衆に交じって先頭で綱を引いていたほど根っからのだんじり好き。同じくデザイナーとして活躍する長女の弘子、三女の美智子も、幼少からだんじり祭に親しんできた。
今年3月26日。そんなコシノ三姉妹や親族の面々が実家に集まった。92歳で逝去した母、綾子の命日にあたるこの日、洋裁店だった実家が「アヤコ食堂」として新装開店することになったからだ。
店をのぞくと、台所のような懐かしい空気が漂っている。カウンターの大皿に並ぶのは卵焼き、サバの西京焼き、イワシの煮付け、水ナスなどお母ちゃんが得意だったおばんざいの数々。「はよ食べや」とお母ちゃんの弾むような声が聞こえてきそうだ。
昔から家族で囲む食卓はだんじり祭と同様、ワイワイガヤガヤ。いつもにぎやかだった。特に私と姉は口論が絶えず、取っ組み合いのケンカになってしまうことも多い。
「昔、お姉ちゃんとよく食べ物で取り合いしたなぁ」
私がこうつぶやくと、すかさず姉が笑顔で皮肉を返す。
「ワタリガニの恨み、覚えてる? 殻をむいて身を集めるのが私、後から来てそれを横取りするのが順子……」
そんな姉たちの応酬を涼しい顔で眺めているのが三女の美智子。「弘子は長女、順子は次女、私は下女」と笑いつつ、マイペースは崩さない。
女系家族の小篠家は私たち三姉妹も、女手一つで3人の娘を育て上げたお母ちゃんも実に自由で個性的。良きライバルとして競い合い、良き伴走者として支え合ってきた。
お母ちゃんが心がけたのは自由放任と平等主義。娘たちがどんなにケンカしようとほったらかし。「負けるのは自分のせいや。もし欲しいもんがあるなら、自分の実力で勝ち取ったらええやん……」と口癖のように言い続けた。
正々堂々、実力だけで勝負する。年功序列もえこひいきもない。そんな「だんじり魂」が三姉妹の心に深く根付き、やがて世界に羽ばたく大きな原動力になった気がする。
向こう岸、見ているだけでは渡れない――。お母ちゃんが私に残してくれた言葉も大好きだ。最初から結果を恐れていたら何も生まれない。「思い立ったら即実行」という信念で走り続けてきた。
今回、思いがけず半生を振り返る機会をいただいた。挫折や後悔も少なくないが、これまで何とかやってこられたのは、巡り合った数多くの方々に支えてもらえたおかげである。ただただ感謝するばかりだ。
人生は七転び八起き。涙あり、笑いありの私の回顧談にどうかお付き合いください。
(ファッションデザイナー)

ファッションデザイナーのコシノジュンコさんは、実力で勝負する「だんじり魂」を原動力に世界で活躍してきました。ただ、その人生は七転び八起き。時代の最先端を走る一方で詐欺事件に遭うなど試練もありました。涙あり、笑いありの「私の履歴書」です。