投資家・渋沢栄一「3カ条」 孫氏との同異にヒント
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZASFL12H9Z_S1A410C2000000/
保存日:2021/4/19 2:00 [有料会員限定]

渋沢栄一の肖像写真=深谷市所蔵

明治から昭和初期にかけての大実業家、渋沢栄一は生涯で約500の企業にかかわったが、投資家としての顔はあまり知られていない。投資で社会の未来を切り開くという発想は、ソフトバンクグループ(SBG)の孫正義会長兼社長と重なるが、やり方は異なる。借金を重ねて利益を膨らませるレバレッジ投資が全盛の中、渋沢の投資哲学に学ぶべき点は多い。

基本は「売って買う」

渋沢家の同族会議資料を元に渋沢の資産運用について研究した文京学院大学の島田昌和教授によれば、渋沢は新規投資する際、保有株の一部を売却して費用に充てた。多額の借り入れを起こしてニューマネーをどんどんつぎ込むようなことはしなかった。

第一国立銀行(現みずほフィナンシャルグループ)や日本鉄道(後に国有化、国鉄)など、事業が軌道に乗り、自分はもう保有しなくても大丈夫と思えるようになった株式を少しずつ売り、そのお金で電力、化学、化学肥料へと投資先を広げた。分散投資やポートフォリオ管理への意識、さらに株価の上値を欲張らないといった投資哲学がうかがえる。

渋沢が関与した企業の株式の多くは配当が確実で当時、ほとんど市場に出回らない超優良株、いわば一種の「宝物」扱いだった。それを渋沢が手放した裏には「日本の投資家層を広げたいという思いもあったのだろう」と島田氏は語る。

「戦前・戦時期の金融市場」(平山賢一著、日本経済新聞出版)などによれば、渋沢関連企業の時価総額が全体に占める割合は渋沢が亡くなった1931年末には9割強に達した。渋沢が日本資本主義の父といわれるゆえんだ。

渋沢とバフェット氏の共通点

AI(人工知能)革命に全てを投じ、SBGを「金の卵の製造業」と称する孫氏。時代のニーズを先取りし、それに応えようとする進取の気性は渋沢と共通だ。

一方、投資や企業経営に関する考え方では主に3つの違いがある。第1はレバレッジ(借金)について。渋沢は若い頃は別にしても、実業家として大成した50代以降は孫氏のように保有株を担保にお金を借りてポジションを膨らませる「含み益経営」とは距離を置いた。「借金による株式投資はクレージー」と警告する米著名投資家ウォーレン・バフェット氏と通じる。

渋沢と孫氏の投資・企業経営に関する考え方には3つの違いがある

第2は資本政策。渋沢は起業にあたり、広く資本と人材を募り、その果実はステークホルダー(利害関係者)全員に分配すべきだと考えた。いわゆる合本主義だ。株式会社は公開が前提だ。これに対し、三菱の祖、岩崎弥太郎はリスクを担う資本家が利益を独占するのは当然とし、株式公開に背を向けた。MBO(経営陣が参加する買収)を否定しない孫氏は、岩崎に近いといえそうだ。

第3は企業統治。戦前、株主総会は議論が紛糾し、6時間以上に及ぶことも普通だったが、それでも渋沢が議長を買って出た場合は安易に多数決を採らず、満場がまとまるまで議論を尽くさせた。そうすることで建設的な意見が生まれたという。渋沢が存命であれば自社株買いや親会社と子会社の少数株主との間で利益が食い違いやすい親子上場には反対だったろう。そうした考えはSBGの複雑な資本関係と対照的にみえる。

渋沢の銀行経営 企業設立は融資のため

投資家、渋沢には謎もある。初期の投資の元手はどこから来たのかという点だ。大蔵(財務)官僚や第一国立銀行トップとしての給与説のほか、会社設立時にアドバイザー報酬として株式を無償で譲り受けていたのではないかという「功労株」説がある。渋沢は銀行を設立しても当時はまだ融資先が少なかったので、自らが起業、つまり融資先を作って回った。その際、「設立した企業の株式を担保に銀行から融資を受けていたのではないか」という推測もあるが、いずれも証拠はない。

そうしたミステリアスな面はあるにしても渋沢の投資理念は示唆に富む。時代のニーズに応える若い企業に投資し、利益は独占せず、過剰なレバレッジは慎め――。渋沢の投資の3カ条をまとめると、こうなるだろう。

みずほFGなど渋沢の流れをくむ主な企業5社の時価総額は合計13兆円で東証1部全体に占める割合は1.8%。10年前に比べ0.7ポイント低下した。一方、SBGは1.5ポイント上昇し、2.7%を占める。新時代の要請に応えるという点でSBGに対する投資家の評価は群を抜く。ただ、米投資会社アルケゴス・キャピタル・マネジメントの運用破綻のような過剰債務企業の綻びは増えている。市場の暴走と背中合わせの現代において、渋沢流「3カ条」が発するメッセージは重い。