もう雪は溶けた 貯蓄から投資へ(高田創)
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ソース: https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFZ315DT0R30C21A3000000/
保存日:人生100年こわくない・世界が学ぶニッポンに

#備える #日経ヴェリタス #人生100年こわくない

2021/4/9 2:00 [有料会員限定]

「高圧経済」という概念は米連邦準備理事会(FRB)議長であったイエレン氏が2016年に主張したが、この議論は今日の日本にこそ当てはまる。筆者の基本的認識は、8年の大規模な金融緩和により、平成にかけて続いた資産デフレと超円高の「雪の時代」は転換したが、依然、日本国内に根強い「雪の時代」のマインドセットが続くとの認識だ。それだけに、日銀に必要なのは高圧経済の活用による緩和継続でのマインド転換を印象付けることにある。

■「雪の時代」の悪循環

高田創氏

次の図表は1980年代後半、平成以降の株式と為替の推移を示している。1989年(平成元年)のバブル崩壊後、海外では株式は右肩上がりとなった一方、日本は海外から隔絶された停滞状況、「雪の時代」が続いた。

さらに、資産デフレに加え、円高も加わるダブルパンチとなった。以上の資産デフレと超円高が重なる「雪の時代」で、企業はバランスシートに資産を保有せずに圧縮する「持たない経営」を行った。損益計算書上では円高でも国際競争力を維持すべく「リストラ」を行った。

以上の企業の「持たない経営」と「リストラ」は個別企業の生き残り戦略としては妥当でも、マクロ面では合成の誤謬(ごびゅう)として縮小均衡を招いた。同時に家計では資産を円建ての現預金で保有することにつながった。以上の環境では「貯蓄から投資へ」は困難になる。

アベノミクス以降の8年・黒田緩和8年でようやく「雪の時代」の「雪の魔法」は解かれた。日経平均は2012年まで1万円割れが続いた状況から大幅に上昇し、為替も1ドル=70円台半ばまでの超円高から100円を超える水準に戻った。20年以降、未曽有の危機であるコロナショックでも円高や資産デフレを回避した状況にあるなか、ようやく資産価格への安心感が生じている。それでもなお、家計と企業の行動は「雪の時代」の後遺症を引きずる状況が続いている。

事実、家計では日本国民が依然、円建ての現預金に資産を集中させる状況が続き「貯蓄から投資へ」は道半ば。企業は「持たない経営」と「リストラ」のマインドセットから抜け切らず、経済全体へのトリクルダウンが及びにくい。8年の大規模緩和による「雪の時代」の雪解けとして「資産デフレ」や円高は解決したが、家計や企業の行動変容にまでは及んでいない。

金融資産構成比を欧米と比較すると、以下の図表にあるように、日本の現預金比率の高さは50%を上回り、欧米と大きな隔たりがある。しかも、その比率は20年にかけて一段と高まり54.2%に達している。資産運用業は欧米に比べて30年近い遅れがあると長年言われてきた。ただし、日本人は長らくリスク性資産に投資して成功体験が得られる環境ではなかったなか、円建ての現預金で資産を保有してきたのは自然でもあった。

■車の両輪ようやく

欧米での資産の多様化が生じた背景に、資産運用をサポートする制度要因に加えて、資産運用をフォローする市場環境、「車の両輪」がそろったことがある。しかも30年以上もかけて資産運用に対する意識が定着する履歴効果が存在した。一方、日本は平成の時代、「雪の時代」に続いた損失のトラウマに加え、制度要因も30年近く遅れた。

ただし、アベノミクス以降の円安・株高環境でようやく日本でも成功体験が生まれ、制度要因のメニューも欧米並みになり、「車の両輪」が揃いかけた環境にある。それだけに、日本でも「貯蓄から投資へ」の意識の芽生えが期待される。事実、コロナショックが生じても日本の証券市場の店頭では新規口座が設定される動きがみられている。

黒田日銀の8年は「雪の時代」として資産デフレ・超円高の「雪の魔法」にかけられた日本経済の「雪を溶かす」ことだった。そこで大規模緩和にマイナス金利やETF買い拡大という従来にない劇薬まで処方して対応した。その結果、「雪は溶け」、株高・円安の定着になったが、日本の家計・企業のマインドセットが戻りきっていない。

今日必要なのはようやく変化の兆しが生じた企業と家計の行動変容を高圧経済によって促すものと考えられる。しかも折しも株価が3万円に達し資産価格が30年ぶりの水準に戻り、さらにデジタル化や脱カーボンなどの半世紀ぶりとされる大きな投資の潮流が生じた時期である。

黒田総裁の任期はあと2年。この猶予期間に少しでもマインドセットを変えることができるかが大命題だ。金融財政政策を総動員して行動変容を促すのが「日本版の高圧経済」と考えられる。

米国で16年にイエレン氏が提唱した高圧経済はリーマン・ショック後に生じた慎重化した行動を変容させることにあった。一方、日本はバブル崩壊以降30年近い「雪の時代」のマインドセットに企業も家計も感染しきった状況にあるだけに、そこからの転換の難しさは米国の比でない。高圧経済が必要なのは米国よりもむしろ日本だろう。

今日、日経平均が3万円に達したことでバブルとの見方は根強く、出口に向かうべきだとの見方もある。ただし、家計の行動変容には、①市場要因としての成功体験、②制度的サポート、さらに、③その認識が定着する履歴効果・時間軸の3要素が不可欠になる。市場要因と制度要因の車の両輪がようやくそろったなか、更に、「高圧経済」による緩和継続でようやく行動変容が実現される。「貯蓄から投資へ」を実現するには多少ともバブルと見えるくらいの状況が一定期間続くことで山を動かすことが不可欠だろう。

■問われる黒田日銀残り2年

企業が投資活動への不確実性を背負ったなか投資に向かうには、「高圧経済」で資産価格も含めた好環境への信任が定着する必要がある。資本の余裕に伴い新たな投資拡大につながる可能性があるが、なかでも重要なのはこうした政策サポートが続くとの安心感にある。

総括すれば、円高・資産デフレの「雪は溶けた」が、家計・企業の「雪の時代」の行動変容が実現されず、その結果、「貯蓄から投資」が実現せず、企業からのトリクルダウンが実現できていない。

黒田緩和8年、残る任期は2年、第四コーナーを曲がり最終局面に向かいだした。課題は緩和継続の「高圧経済」で行動変容のフィニッシュを飾れるかだ。3月19日の日銀の金融政策の点検で、緩和に伴う副作用への一定の配慮を示したのも残り2年の任期の緩和を継続させる長期戦の構えとも考えられる。

高田創(たかた・はじめ)

日本興業銀行(当時)入行、みずほ証券執行役員チーフストラテジスト、みずほ総合研究所副理事長などを経て岡三証券グローバルリサーチセンター理事長・エグゼクティブエコノミスト。金融庁の金融審議会、財務省の財政制度等審議会のメンバー。